第二の人生おめでとう
2000/11/1
朝のクラスでしばらく休んでいた人が、今日久しぶりに来た。見ると、全身白ずくめである。白い帽子、服、ズボン、靴、全て白いものである。
これは言うまでもなく、親が亡くなったことを示している。ネパールでは、親が死んだ後1年間は、白のものを身につけなければならない。ちなみにこれは男に限る。ただし、中には13日目、あるいは30日目、45日目で脱ぐ人もいる。もちろん1年間ずっと着る人もいる。また、白い服の人を飲みに誘うことはできない。以上のことは、ヒンドゥー教の習慣である。
日本では、喪服は黒である。葬式のネクタイも黒。だが、棺桶の中の人は白装束。切腹をする時も白装束。なぜなのか。黒は生きているものの世界を、白は死んだものの世界を表すのだろうか。ならば、生きているものの世界というのは暗黒の世界でもあるのか。
友人に聞いた話だが、ある日本人の女の子がボランティアのプログラムでネパールに来た時バスに乗った。田舎のほうへ行かなければならなかったからで、そのバスの乗客のほとんどは、同じくそのプログラムに参加した西洋人だった。
ところが、そのバスが崖にさしかかったとき、だしぬけに後輪が落ちてしまった。バスは傾き、車内はパニックに。日本人の女の子も、これで終わりだと思ったそうである。しかし、なんとかバスは持ちなおし、全員命拾いをした。助かった西洋人たちは、今度は運転手に怒りをぶちまけた。それは当然だろう。一応、すまなかったというようなことは言ったようである。
それから少しして、彼は女の子にこう言ったそうである。
「第二の人生、おめでとう。」
ここまで聞いたとき、僕は笑いが止まらなくなった。だってそうだろう。定年退職後の余生でもあるまいし、そんなことを、ましてやこのような時に。
女の子は「ネパール人は死ぬのが怖くないんですよ。」と、友人に言った。果たしてそうだろうか。僕は、絶対どんな人でも怖いと思うけど。ただ、生と死は紙一重であるということは分かる。いや、紙一重というより、生と死はまるで、一卵性双生児のように、似通ったものであろう。どんな未来日記も最後のページは「死」であると、しりあがり寿も言っている。
やはり、死ぬときは笑って死にたい。それも苦笑いではなく、大笑いでもなく、微笑んで。
<昨日の食卓>
昼 (タンドリーファーストフードレストランにて)
チキンビリヤニ
フレッシュレモンソーダ
夜 ヴェジタブルチャオミン
ムーグダルモート
TUBORG1本
<感想>
ちょっとムーグダルモートが塩辛かった。
やっぱりBIKAJのほうがうまい。
今日はウーロン茶を作ろう。