ネットワークHITOとは・・・
ネットワークHITOは、主にアジア地域で活動を展開している国際ボランティアグループです。
アジア地域における人的交流の可能性を、日本語教育や、縫製指導などのプログラムを通じて支援することを目的として、活動を広げている草の根ボランティアグループです。
活動の経緯
ネットワークHITOは1997年1月に設立されました。ネットワークHITOのHITOとは“Human InteracTion Operations”の略であり、「人間交流」という意味です。またHITOとは漢字で“人”と書き、人と人とがお互いに支えあっている象形という説もあります。「与える側から受ける側」への一方的な援助ではなく、活動を通してお互いが学びあい、心と心を通わせあいたいとの願いを込めて名づけました。
97年当初は、ミャンマー第二の都市であるマンダレーに“HITOセンター”という名称の建物を立て、マンダレーYMCAとの協力関係の下で日本語教育、および女性の自立支援のための縫製指導に対して支援を行うことを目的とし、グループ名も“HITOセンター”としていました。
ミャンマーへの支援活動は、3年後の2000年12月を一つの区切りとして設定していました。
支援の期限を設けたのは、「3年後のHITOセンターの状況を見れば現地に本当に必要とされているかどうかを推し量ることができる」と考えたからです。もしも独善的で一方通行の支援をしていれば、3年後には現地の人から必要とされず、「日本人の自己満足のボランティア活動」でしかなかったと考えることができます。もし3年後にそのような状況になっていればHITOセンターの存在理由が無いわけですから、センターを閉鎖するべきと考えたのです。
HITOセンター開設のほぼ同時期である1997年3月、同様の主旨でネパールの首都、カトマンズに“やさしさ日本語学校”が開校しました。
このやさしさ日本語学校への支援活動は“グループやさしさ”というグループが行っておりました。
二つのグループは活動内容もほぼ同じで、共通するメンバーもいたことから、1999年4月に合併し、グループ名も“ネットワークHITO”と改め、ミャンマー・ネパールのみならず世界各地でのグローバルな活動を目指し再出発しました。
同時に活動期間についても協議がなされ、ミャンマー・ネパールそれぞれのこれまでの活動の意義や成果を踏まえ、メンバーが強い継続の意志を表明したため、21世紀も続けて活動を行っています。
新たな活動
また、こうした私たちの地道な活動を聞きつけ、フィリピンにも日本語教師を派遣してもらえないかとの要請がありました。ネグロス島にあるエスカランテ市市議会から正式に提携を結びたいと打診があったので、日本側で協議を重ね、2005年8月にエスカランテ市と調印を交わし、ミャンマー・ネパールと同様に日本からボランティアの日本語教師を派遣する事になりました。フィリピンでの活動がミャンマーやネパールと大きく異なる点は、現地の行政機関から正式にネットワークHITO側に連絡があり、提携するに至った点です。これはネットワークHITOのこれまでの草の根の活動が多くの人たちに認められ、必要とされているからこその結果であると言えます。
活動の指針
ネットワークHITOの活動方針として、支援する現地施設は、設立から3年をめどに経済的独立し、その後は金銭・物質的支援を中心とするのではなく、精神・人的支援を中心とすることにしています。これは現地の人たちが支援に頼り過ぎないように、そしてネットワークHITOが更に他の国や地域へと活動を広げていくために必要なルールであると考えています。私たちの目標はあくまで相方向の心の交流であるからです。
やさしさ日本語学校はネパールの首都カトマンズのニューバネシュアーと言う場所にあります。カトマンズ空港から車ですぐの場所に位置し、数メートル先の表通りにはバス停もあり、人通りの多いにぎやかな場所にあります。
一時は爆発的であったネパールでの日本語学習熱も近年では下火になり、数多くあるカトマンドゥ盆地のどの日本語教室も経営難に陥っているようです。 このような状況の中で、「やさしさ日本語学校」は、唯一常勤日本人講師が教える学校として、ネパールでの日本語教育のあり方を模索しております。また、日本語学習だけにとどまらず、日本文化、情報を提供、交換できる場として、書籍やAV機器の充実にも力を入れていこうとしています。 しかし、その経営状況は厳しく、ネパールでの物価は上がる一方で、飲料水の確保、国際通信費などは日本以上に高くつきます。また、現地へ派遣された日本語教師の住居、兼校舎の賃貸料も大きな出費の一つです。
ネパール「やさしさ日本語学校」は2001年3月末日をもって当初の契約通り、一旦経済支援を打ち切りました。しかし、派遣している講師のケアや教育設備改善などで経済的な支援が必要なときは、適宜援助を行っています。もちろん、心の面での繋がりまで切れたわけではなく、今後も対等なパートナーとして共に歩んでいきます。
ミャンマー最後の王宮、「マンダレー王宮」のお堀に面した3階立ての建物。この建物は1,2階が教室とオフィス、3階が日本人講師の居室として使われています。HITOセンターもネパールと同様、日本人教師が常駐している日本語学校、縫製学校として知られています。 講師によって1年、半年、3ヶ月と任期は様々ですが、1年以上の任期になるとビザの取得が困難になります。また、YMCAとの結びつきが強いとはいえ、この国での学校運営は楽なものではありません。 日本語の学習を1年間続ける学生はアドミッション時の10%に満たないため、限られた時間と講師数で、このようなクラスを続けることは難しいし、また、長期にわたって学習したいという学生にとって、授業料を支払っていくことも非常に難しいのです。 現在では、短いタームのクラス設定して受講生確保をしていますが、長期間学習をしたい学生のケアをどうするか、どのような人々を対象にした日本語教育であるのか、など重大な課題を抱えています。
フィリピンでの活動
ミャンマーやネパールとは異なりフィリピンには活動拠点となる学校などの建物は今のところ存在しません。フィリピンでの活動は2005年8月から正式にスタートしました。ネットワークHITOはエスカランテ市に日本からネイティブの日本人教師を派遣し、エスカランテ市側では現地に住む日本人教師の身辺の安全と生活の保障をするとの内容で、エスカランテ市議会とMOUを交わしました。
日本から派遣された日本語教師は市役所内の一室で市民と市職員に日本語を教え、市内にある数ヶ所の学校で日本語の授業を担当しています。市の全面的なバックアップはありますが、始まったばかりのプログラムであり、これから様々な課題を乗り越えていかねばなりません。