HITOセンター開設式
1997年6月29日に開設式を行うこととなり、我々HITOセンター日本側メンバーは、6月25日に第一弾13名が、6月27日に第二弾9名が、日本を出発しマンダレーへと向かいました。現地合流の若者組3名を加え、総勢25名の大集団となりました。滞在組(ボランティア教師)4名を含む先発隊が、HITOセンターの日本風な飾り付け(写真 右)などを後発隊到着前に済ませました。
HITOセンターはマンダレー王宮の北西の角に面しており、鉄筋コンクリート3階建てです。1階が受け付けを含むロビー(上の写真参照)と教室が2つとトイレがあります。2階には左の写真のような教室が4室あります。3階は事務所と日本人教師の居住空間です。ベッドルームは4室ありますので、4人の教師はゆっくりと眠れます。
6月28日には、開設式に先立ち、教会関係者などを集めての贈呈式が行われました。ほとんどがビルマ語で行われましたので、式次第はわかりません(苦笑)。雨季の蒸し暑い気候の上、風通しの悪い室内に1時間以上じっとしているのは、かなりの苦痛でした。HITOセンターは教会の敷地に建っていますので、大家にあたる教会の神父さんも出席されていたようです。
さて、いよいよ開設式です。マンダレー市長や地元の名士などが参加し、大々的にとりおこなわれました。テープカットは前の道の交通を止めて行われ(こんなところでも軍隊が!)、テープカットと同時にたくさんの風船をつけたペナントが、空へ放たれました。式はHITOセンター前に仮設されたキンキラキンのやぐらの中で行われました。
市長は多忙のため、挨拶をすませると帰ってしまいましたが(ミャンマーでは市長はヤンゴンとマンダレーの2人しかおらず、政府の都市計画委員なども兼ねるかなりの要人のようです。写真は帰り際に日本のお土産を渡しているところです)、その挨拶は用意された原稿を読むようなものではなく、市長がちゃんと自分の言葉で挨拶をしていたと現地の人はみな感心していました。HITOセンターの運営はマンダレーYMCAが行いますので、マンダレーYMCAの理事長ウ・タント,総主事マン・マン・ウィンが挨拶し、日本側から当ネットワークHITO代表・寺川克(左の写真でお土産を渡している方の人物),プール学院大学学長・小林哲也(プール学院大学ではHITOセンターを活用した学生の国際交流活動を計画中です。市長の後ろで座っている人物)の挨拶がありました。小林先生の紹介では、プール学院という「大阪の大学」と伝えたためか"Osaka University"と紹介されてしまいました。YMCAというキリスト教系団体のため、多数の教会関係者が出席しておりましたが、ところどころに僧侶の姿もありました。
40分ほどで式は終わり、その後は参加者の皆さんに建物の中を見ていただきました。式が終わるとキンキラキンのやぐらはすぐに撤去され、普通のビルだけが残りました。7月7日のプログラム開始を見ずに、日本での仕事に追われるわれわれは、4人の日本人教師と、このままネパールまで旅する若者組3人を残して、翌朝帰国の途につきました。
月日(曜) | 旅 程 | 宿泊地 |
6/25(水) | 16:00 先発組(13名)関西空港出発ロビー集合 18:00 NH1181便にてヤンゴンへ |
ヤンゴン泊 |
6/26(木) | 07:00 6T400便にてマンダレーへ 09:15 マンダレー着 HITOセンター開設準備 |
マンダレー泊 |
6/27(金) | 先発組 開設式準備の飾り付け・市内見学 16:00 後発組(9名)関西空港出発ロビー集合 18:00 NH1181便にてヤンゴンへ |
先発組 マンダレー泊 後発組 ヤンゴン泊 |
6/28(土) | 07:30 6T101便にてマンダレーへ(後発組) 先発組・後発組 合流 HITOセンター贈呈式 |
マンダレー泊 |
6/29(日) | 開設式(午前) マンダレー市内観光・交流プログラム |
マンダレー泊 |
6/30(月) | 09:20 6T102便にてヤンゴンへ ヤンゴン市内観光・交流プログラム 23:00 NH1182便にて関空へ |
機中泊 |
7/1(火) | 07:25 関空着・解散 |