海外で日本語を教えるボランティアツアー
(第4回ツアー参加者の声)

 

森中千賀さん
ネパールは私にとって未知の国でした。最初はネパールがどこにあるのかも知りませんでした。実際に現地に到着した時は、本当にびっくり。カトマンドゥーの、その砂ぼこりと排気ガス、ガタガタの道には、かなりショックをうけました。また道路には車線も横断歩道もなく、車やバイク、自転車、人や牛が、好き勝手に行き交う光景に、圧倒されてしまいました。
そんなカルチャーショックが続くなか、日本語学校での初めての授業がスタート。朝7時開始のクラスにもかかわらず、生徒さんたちは元気いっぱいでした。初級のコースなので、「あいうえお」からのスタート。みんな母国語にはない発音、見なれない文字にとまどいながらも、積極的に授業に参加してくれました。とにかく生徒さんたちの熱意はスゴイ!みんな“学びたい!”という意欲がすごくあるので上達もはやく、授業は私が想像していたよりずっとハイペースですすめられました。
授業も3、4日目になると教える私たちも生徒さんたちも流れがつかめてきたのか、ちょっと気持ちによゆうがでてきて、授業を楽しめるように。ネパールの人たちは本当に楽しみ上手で、会話練習のときも個性的な答えをだして私たちを笑わせてくれました。
あっという間に1週間がすぎ、そしてむかえた終了式。
学校の屋上で行なわれた終了式は開放感いっぱいで、みんな住所を交換したり、写真をとったり・・・乾燥した空気と、大量の太陽光線、そこで食べたココナッツクッキーと甘いミルクティーの味は、ネパール度100%でした。
最初は不安だったネパールでの授業。でも何とかやりとおすことができたのは、先生たちのサポートと、授業を一緒に担当した優しくておもしろい仲間たち、そして何より、“日本語を勉強したい!”という熱意にあふれたネパール人の生徒さんたちのおかげです。ありがとう!素敵な想い出になりました。貴重な経験だったと思います。
P.S.これからこのネパールツアーに参加されるみなさんへ
石けん、シャンプー&リンス、サンダル、ハンガー、ポケットティッシュ、そしてウェットティッシュはちょっと多めに持っていかれるといいと思います。

 

 

坂口志保さん
「今ここでキャンセルしても、少しぐらいはお金は返ってくるやろうから、そのほうがええかも・・・」そんな考えが頭をよぎったのは出発3日前のことだった。本当にもうどこから手を付けていいのかわからなくなってしまって教案もほったらかしだった。何をどこまで準備すれば充分なのか全くわからずにイライラするばかり。ちっとも準備はすすまなかった。日本でやりかけていることをこのままにして、ネパールに旅立っていいものかどうか不安もあった。そんなこんなで今ふりかえると、自分が本当にネパールに行って帰ってきたなんて信じられない感じがする。
はっきり言ってハプニング続出の旅だった。「ネパールには魔物が住んでいる」ときいたが、まさにそんな感じだった。出発してしまってからも、タイでの不安な1日。「タイで観光でもしてそのまま帰ろうよ。」そんなことまで言い合っていた。でも不思議と授業直前ともなると、覚悟もきまって「きっとなんとかなる。落ち着いていこう。」と自分に言い聞かせた。私の授業が生徒さん達にきちんとわかってもらえていたのかどうか今でもさっぱりわからない。あの時はあれ以上どうしょうもなかったと言うしかない。そんな無責任な私の授業でも、生徒さん達が熱心にきいてくれたことは本当に嬉しいことだ。誰かが言っていたけれど「日本では自分なんて誰にも気にされてないような気がしてるけど、ここでは自分の存在が認められている」という気がした。ネパールの人に関しては、(本当は1人1人違うのでひとくくりにして言うことはできないのだが、)バザーにしろ、JapanDay(編集者注:学校主催のパーティーのようなもの。通常ツアーの最終日に生徒たちと行なう)にしろ、ホーリー(水祭り)にしたってとりあえずあっけにとられた。普段は、こちらがにっこりすると微笑みかえしてきて、インドなんかに比べればやや控えめでやさしい人達、という印象があった。ところが、バザーでは机が壊れたし、JapanDayではフラッシュカードが使い物にならなくなるし、ホーリーでは服も顔もぐちゃぐちゃにされて、「ほんまにめちゃめちゃやなぁ・・・この人達って。」と、感じが一変した。このへんがやはり「ネパールには魔物が住んでいる」なんだろうとは思わずにはいられなかった。それでも、歌が好きで、踊るのが好きで、すぐに「一緒にダンスをしましょう。」と言ってくる。この国の人達はなんて不思議でおもしろいんだろうと思った。日本に帰ってから1週間ほど、ネパールにすぐにでもまた行きたくてしかたがなかった。行って、ネパールの人達に会いたくてしかたがなかった。これで終わりにはしたくない。一過性の交流ではもう物足りない、これからもっともっと何をしようと思えた旅だった。

 

 

友廣尚子さん
日本での研修は、私にとってとてもつらいものでした。何をどうすればいいのかまったくわからずに、次の実習の事を考えると胃が痛くなる毎日でした。何もかもが準備不足に感じ、これでいいのだろうかという思いが、出発し、ネパールに着いて、授業が始まっても頭から離れませんでした。よほど気が張っていたのだと思います。そしてセミナー初(?)の病院行きとなってしまいました。健康だけがとりえの私にとってかなりショックな事でした。ハタ迷惑な私を心配して下さった方々にはとても感謝しています。そして、何より支えになったのが、生徒の皆でした。いつも不安でビクビクしていた私の事を「先生」と呼んでくれる人達。彼ら、彼女らのおかげで、つらい事もイヤな思いも帳消しになった気がします。
今回のセミナーで知り合ったすべての人に「ありがとう」を伝えたい。そしてこの経験をムダにしないような人生を送れたらと思います。

 

 

『ネパールでの日々』高倉法子さん
今回、私がこのセミナーに参加しようと思ったきっかけは、単に海外旅行ではなく海外の日本語学校を通じてその国の人々が日本のことをどのようにりかいしているかを実際に見てみたかったからです。また、大学でも日本語を勉強していることもあって自分がどれだけ出来るものか試したかったということもありました。国内でのわずかな準備時間で本当にうまくやれるのかと不安でいっぱいでしたが、いざ教壇に立つと生徒達のキラキラした好奇心の目と、仲間たちの応援に支えられて時間があっというまでした。今回参加した仲間が全員20代ということもあったのか非常にチームワークよく、授業の一環としてコント(お芝居)をおもしろおかしく取り入れてみたり、ゲームをしたりと日毎に教室から笑いが絶えなくなっていきました。そんな楽しい雰囲気と生徒達のひとなつっこく、それでいて大変真面目な学習姿勢に助けられ、私も本当に楽しく授業をすることが出来ました。彼らは日本に対する憧れを少なからずもっていて、家におじゃますると必ず日本に関する物(写真やポストカードなど)がありました。私たちがこういったかたちで彼らと関わっていくことで日本のことをもっと理解してもらえたら、そして私たちもまたネパールについて理解していけたらどんなに素晴らしいだろうな、と思います。
その他、ヒマラヤ山脈を見に行ったり、水かけ祭り(これは凄かった!!全身びしょぬれ真っ赤っ赤!!)を経験したり、パーティーでは60度はありそうな地酒(火を近づけると燃えた!!)を飲んだりと大変貴重な体験をさせていただきました。今思い出すだけでも顔が緩んできます。信仰は違ってもどこか共通するものがネパールにはあります。今度、ネパールへ行く時には本物の(!?)日本語教師として行きたいと思います。
今回御指導、御同行していただいた先生方や2週間共に過ごした仲間達には感謝の気持ちでいっぱいです。またどっか行けたらいいな。

 

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