海外で日本語を教えるボランティアツアー
(第1回ツアー参加者の声)



※第1回ツアーはミャンマー・ネパールとも開催されました。


ミャンマー:HITOセンター  1998.3.25〜4.4(うち5日間授業)
『日本人で良かった』荒木 知佳子さん
パゴダの展望。気持ちいい〜! 日本語を教えた経験の全くない私にとって、それはもう無謀に近い決断だった。思えば初めてこのセミナーを知り、参加を決め、準備授業を受けている間も、本当に自分がミャンマーで日本語を教えることなんてできるのかという不安が、頭から離れなかった。そして実際に現地に行ってみると・・・。
毎日が濃厚な密度で過ぎていく、超忙しい(そして超楽しい)日々であった。約15名の老若男女の生徒たちに対して知識や経験の未熟な私ができるのは、ただただ精一杯懸命に教えることだけ・・・。そんな私の授業にも彼らは素晴らしい情熱で日本語を取り組んでくれたし、私も彼らからたくさんのことを学ぶことができた。言葉や習慣や肌の色が違っても同じ人間同士としてふれあい、通じ合うことができる喜びを、私たちの言葉『日本語』を通して体験できるなんて・・・。
私は生まれてこれほど「日本人で良かった」と思えたことはなかった。

 

 

『心の豊かさ、ゆったりさ』藤井 芳子さん
前々から、「あれほど穏やかな国民性はない」と聞かされていたので、一度訪れてみたいと思っていた国、ミャンマー。しかもにわか日本語ボランティアとして。思いがけない心に残る旅。バガンの地に足を踏み入れた瞬間、まさに異星にタイムスリップしてしまったかに見える景観。道路工事も政府の観光化政策の影響なのかロンジーをまとった人たちが石を一つ一つ手で運んで敷き詰めたり、頭の上に乗せて運んだり。人々はひたすら歩き、気の遠くなるような動き。そんなゆっくりした光景を後にマンダレーへ。「より速く、より簡単に、より便利に、より効率よく」を追い求めた結果、物質文明にどっぷり浸かった私たちが、どこか片隅に追いやってしまった「心の豊かさ、ゆっくりさ」。
「どこから来たの?」と、行く先々で親しみをこめて声をかけてくれる人たちに、『5日間の日本語学習』への応募者111人の中から選ばれた驚くほど熱心な学習者に、YMCA、HITOセンタースタッフの(私たちが恐縮するほどの)歓待ぶりに、私たちも精一杯心を開くことができました。「日本語」をきっかけに、真の豊かな世界が広がるよう、祈らずにはいられません。
マンダレーヒルを訪れた時のこと、小さな手相占い師さんに「あなたは1、2年後外国で仕事をします。単身で。家もお金も大丈夫!」と言われて「ひょっとして私の世界も広がるのでは!?」と夢を見てしまいました。

 

 

『一人一人を抱きしめたい』吉川 豊治さん授業を受ける学生の目は真剣!
『ビルマの竪琴』と『クワイ河マーチ』しか思い浮かばない私にはほとんど未知の国、ミャンマー。
YMCAで習った日本語教授法がどれだけ自分のものになっているのか頼りないものだったが、授業が始まるなり、不安は一掃されてしまった。14名の若者の私の一言一句を聞き逃すまいとする真剣な眼差し。五十音や単語を大きく口を開けて発音する ―― まるで子供のように。学生が間違ったり私の失敗に笑いが湧き起こる。50分の授業の後の10分の休憩のには、ほとんどの学生が反復練習をしている。熱心な学生を前に、私は喜びに満たされる。
別れの日には、贈り物までもらってしまった。ミャンマーの習慣が許してくれるなら、一人一人を抱きしめたい気持ちにかられました。そして私は今もまだミャンマーの夢を見続けている。

 

 

 ネパール:やさしさ日本語学校  1998.3.15〜22(うち5日間授業)
『久しぶりの充実した時間』三田 陽子さん
『海外で日本語を教えるボランティアセミナー』に参加して、まず1日にやるカリキュラムの多さにびっくり。そして続々と生徒さんも集まっていると聞き、ますますプレッシャーを感じた。ネパール組は最終セミナーの翌日出発、そして到着して次の日の朝から授業とハードスケジュールに加え、急遽中級クラスもということで、てんやわんやの出発だった。
こんなことで授業になるのだろうかと、とても不安だった。しかし実際に授業をやってみると、生徒さんたちの熱意に私たちも答えるかたちで、無理かなと思っていたカリキュラムもなんとかこなすことができた。1日1日過ぎるのがなんと早いことか。自分の授業をやり、他の人のお手伝いをし、その合間に観光もしっかりと。こんな充実した時間を過ごしたのは久しぶりだった。グループの方たちはそれぞれの持ち味を生かした授業ぶりでそれぞれの個性が面白かった。いろいろと準備をする間にできてきた仲間意識をこれからも大切にしていきたい。

 

 

『「センセイ!」という一声』平野 明彦さんはいみんな〜大きな声で〜
日本語教師という職業があるということすら知らなかった僕ですが、たまたま見つけたチラシを読んで、「おもしろそうやなぁ」とそれだけの理由で参加しました。飛行機に乗ったこともなかった僕は、日本を出るのももちろん初めてで、今回の旅のできごとすべてが新鮮でした。
その中でも特に心に残っていることに、街を歩いていて生徒さんに声をかけられた時のことがあります。夜に同じボランティアの方と二人で買い物に行こうとホテルを出た後、道に迷い、さてどうしたものかと考えながらぶらついていた時、偶然近くに住んでいた生徒さんが声をかけてくれたのです。彼とはその時から、一緒に街へ出たり話をしたりして、最後の日にはお互いが日本語で「あなたと私は親友です」と言い合って別れを惜しみました。
異国でさまよっている時に聞こえた「センセイ!」という声。ナガルコットの雄大な朝日。感動が僕を再びネパールへと導くでしょう。

 

 

『生徒からもらった宝物』藤岡 朋美さん
「一度海外で日本語を教えてみたい」という夢がネパールで初めて実現した。日本語なんて自分自身が結構適当に話しているのに、本当に教えられるのかと思っていたが、「何事も経験」という言葉が浮かび、思い切って参加してみた。
研修もあっという間に終わり、気持ちの方は開き直りと変わっていった。しかし、実際現地へ着いて授業が始まると、そんなことは言ってられない。なぜならあの生徒の熱心な姿勢、私の言うことを一言ももらさぬ様に鋭い目つきで見てくるからだ。一生懸命に日本語を勉強している、そして授業以外は私のことを本当に友達と思って親切に接してくれたみんなから、たくさんのものをもらった。それは目に見えない、そして日本では味わえない(存在しない)純粋で本当の人間の生き方を教わった気がする。
日本語を通じて、私自身が彼らからたくさんの教訓(宝物)をもらったすばらしい経験だった。

 


『言葉を通した人間交流』正木 貢さんこの後手品を披露。学生たちも大喜び!
空港に着いて外に出た。途端、想像していた以上の人間のありのまま、そして環境にびっくりしました。ホテルまでの道中で、明日からの授業はうまく行くだろうかと不安が心の中で一杯になり、逃げたくなる気持ちでした。まして一日目の一番目の時間でみんなが見ているだろうかと、失敗することばかり考えていました。でも、その夜はなぜかよく眠れました。そしてその翌日、そのような不安はふっとびました。なぜならば、学生たちの学ぶ姿勢や目の輝きで、自分自身がしっかりしなくてはならないと、勇気づけられたからです。5日間という短い間に失敗は数多くあったけれども、楽しいこともたくさんありました。
このセミナーを通して日本語に感心を持つようになったし、日本人以外の人と言葉を通して人間交流をする大切さを学べたように思います。次には日本語をもっと勉強して、できるだけ長い間その国の人と接したいと思っています。


第2回ボランティアツアー参加者の声
  
第3回ボランティアツアー参加者の声
  
第4回ボランティアツアー参加者の声


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